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東京高等裁判所 平成5年(ネ)3800号 判決

控訴人兼附帯被控訴人

日野修男

被控訴人兼附帯控訴人

三菱電機株式会社

右代表者代表取締役

北岡隆

被控訴人兼附帯控訴人

三菱電機ビルテクノサービス株式会社

右代表者代表取締役

小林凱

右両名訴訟代理人弁護士

広田寿徳

谷健太郎

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  本件附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人兼附帯控訴人敗訴部分を取消す。

三  右部分に関する控訴人兼附帯被控訴人の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、第二審とも控訴人兼附帯被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を次のとおり変更する。

(一) 被控訴人兼附帯控訴人(以下単に「被控訴人」という。)らは、控訴人兼附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という。)に対し、各自金八〇万円及びこれに対する平成三年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被控訴人三菱電機ビルテクノサービス株式会社は、控訴人に対し、金二〇万円及びこれに対する平成三年七月二四日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  附帯控訴の趣旨

主文第二ないし第四項と同旨

第二  事案の概要

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決四頁三行目、四行目の「日本赤十字社医療センター病棟」を「日本赤十字社医療センター(以下『本件病院』という。)の病棟」に、同一〇行目の「両開きのタイプで、」を「ほぼ左右相称の二つの扉からなり、片側の扉の開閉距離は五一〇ミリメートルで、」に、同五頁四行目の「別紙図二」を「本件エレベーターにおいては、別紙図面二(ただし、同図面中の『m』は『ミリメートル』と読み替える。)」に改める。

二  同八行目から同六頁一〇行目までを次のとおり改める。

「1 事故の発生

控訴人は、本件病院に入院していたところ、平成三年七月一一日、裸足にサンダル履きで一一階の病室から地下一階に降り、そこの売店で食料品と新聞を購入して、新聞を左脇に挟み、右手で食料品の入った袋を持ち、午前九時三〇分ころ、病室に帰るため本件エレベーターに乗り込もうとしたところ、扉が閉まり始め、外側から見て右側の扉のセーフティシュー下端と床面との隙間に右足先を狭まれ、それにより、全治一〇日を要する右足指第二、第三指挫傷の傷害を負った(以下この事故を『本件事故』という。)。

2 事故の原因

本件事故は、セーフティシューの下端と床面との間に最大で約四センチメートルの隙間が存在し、かつ、扉が閉まるにつれて、セーフティシューが下降し、その下端と床面との隙間が最小一センチメートルにまで狭まること、及び、セーフティシューの下端部の鋼板の切り口が養生されることなく露出し、緩衝材の取付けもないことという本件エレベーターの構造に起因するものである。このような構造のため、セーフティシューの下端が床面との間に、物を挟む可能性があり、挟まれたものには、右鋼板で、垂直方向と水平方向との両方向のエネルギーにより切断する力が加わるのである。

3 被控訴人らの責任

(一)  故意

被控訴人らは、本件エレベーターのセーフティシューの右構造を認識していたし、人が歩行するとき、足先が一番前に出ること、その足先を扉の前に置くことがあり得ることは容易に予測することができるのである。また、本件事故以前に、セーフティシューの下端部に緩衝材を取り付けることは既に使用されていた公知の技術であり、これはセーフティシューの下端に足先などが挟み込まれる事態に対処した措置であることは明らかであるのに、被控訴人らは、本件エレベーターのセーフティシューの下端部を養生もすることなく放置していたのである。

右によると、被控訴人らは、右2の構造を有する本件エレベーターを放置することによって、セーフティシューの下端と床面との隙間に足先が挟まれて負傷するという本件事故のような事故の発生を認容していたものということができる。

(二)  過失」

三  同一一頁一一行目の「また、」の次に「裁判で相手方の責任を立証するためには証拠収集費用、弁護士費用等多額の費用を要するから、特に少額被害者がその費用を賄うに足りる損害賠償を受けることができなければ、実質的に裁判を受ける権利が保証されないことになる。したがって、」加え、同一二頁一行目の次に改行して次のとおり加える。

「ウ 被控訴人らの責任は故意に基づくものであるから、過失相殺をするべきではない。仮にその責任が過失に基づくものであるとしても、控訴人の本件エレベーターへの乗り方は通常のものであるし、たとえわざと扉の前に足先だけを差し出した者がいても、本件エレベーターと同一の機種以外のエレベーターであれば、利用者が負傷しない対応策が採られているから、本件事故につき、控訴人には過失もなければ、過失相殺をさるべき事由もない。」

四  同一三頁六行目から同一四頁四行目までを次のとおり改める。

「1 因果関係の不存在

ア  本件エレベーターのセーフティシューは、扉が閉まるにつれて下降するが、これは機械的に押し下げられているものではない。セーフティシューは、常に上方向へ可動であり、僅か一、二ミリメートル上方向へ動くこと等によって、扉は開方向へ反転するから、セーフティシューが足を挟んだとしても、足を押しつぶすことはない。

右セーフティシューの下端と床面との隙間は、扉が約二五〇ミリメートル閉まる間に約三四ミリメートルから約一四ミリメートルへと、さらに、約二五〇ミリメートル閉まる間に約一四ミリメートルから約三六ミリメートルへと緩やかに変化するに過ぎない。

したがって、右セーフティシューの下降と控訴人の負傷とは、因果関係がない。

イ  エレベーターの利用者には自動で開閉する扉に対しては相応の注意を払うことが当然に期待されるところ、本件事故は、控訴人が通常の乗り方をしなかったこと、あるいは、通常では予想され得ない事態が重なったことから生じたものである。セーフティシュー下端と床面との間に隙間があっても、利用者が通常の乗り方をしている限り、そこに足先を挟むといった事故は生じないものであり、本件エレベーターの右構造と本件事故との間に相当因果関係はない。

2 被控訴人らの責任の不存在

(一) 故意の不存在

セーフティシューの下端部に緩衝材を取り付けることは、本件エレベーターの製造時点(昭和五〇年)及び本件事故発生の時点のいずれにおいても、業者間において広く認識されていることではなかった。

(二) 過失の不存在」

五  同一六頁二行目から同四行目までを次のように改める。

「エ セーフティシューの突出量を変化させないでセーフティシューが床面と水平に移動する構造のエレベーターは、セーフティシューが突出したままであるので、扉が両開きのタイプでは、片側の扉にしかセーフティシューを設置できない。また、扉が閉まる直前だけセーフティシューを引っ込める構造にして、両扉にセーフティシューを設けることは可能であるが、扉全開時にも両扉のセーフティシューが突出しているので、有効出入口幅が確保できないし、突出量を少なくするので安全のため開閉速度を遅くする必要がある。被控訴人三菱電機では、両開きタイプで全閉時以外突出量を変化させないセーフティシューを設置したエレベーター(ただし、EDS(エレクトニック・ドア・セーフティ)併用型を除く。)は製造販売していない。」

六  同一七頁八行目の「カ」を「キ」に改め、同七行目の次に改行して次のとおり加える。

「カ セーフティシューの下端と床面との隙間が危険であることを利用者に注意を促すための指示や警告をしたとしても、本件事故のような極めて稀な事故の防止に役立つとはいえない。」

七  同一八頁九行目の次に「過失相殺の可否、その程度。」を加える。

第三  争点に対する判断

一  本件エレベーター及びそのセーフティシューの構造

第二の2の事実及び証拠(甲二一、乙一、二、七、八、証人柴田勝美、原審平成三年八月二二日検証、当審検証)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  エレベーターの扉には、各階の乗場側に設けられている扉と上下するかごに設けられている扉とがあり、セーフティシューはかごの扉の外側側面先端部に設けられている。両開きタイプで両扉にセーフティシューが設けられているエレベーターについては、セーフティシューのタイプが概ね二種あって、その一は、比較的開閉速度の速い扉に設けられ、最大の突出量が約六〇ミリメートルで、扉の位置に応じて突出量が調節されるようになっており、その二は、開閉速度の遅い扉に設けられ、最大の突出量が約三五ミリメートル(ただし、約一五ミリメートルのものもある。しかし、この場合はEDSが併用されるのが普通である。)で、全閉するとき(全閉の直前を含む。以下においても同じ趣旨で用いることがあるが、いちいち断わらない。このときには、両方の突出したセーフティシュー同士が接触しないように引っ込める。)を除くと、一定である。これは、セーフティシューに人や物が触れてから扉が反転するまでに若干の時間を要するので、速度の速い扉については突出量を大きくして早く障害物を検知する必要があるからである。前者が一般に用いられており、後者はエレベーターの利用者の比較的少ない建築物に用いられている。

2  本件エレベーターのセーフティシューは前者である。このタイプの場合、扉が全開のときには、出入口の幅を大きく確保するため、セーフティシューの突出量を小さくする必要があり、また、扉が全閉するときには、セーフティシュー同士が接触しないように(接触すると、扉が開いてしまう。)、セーフティシューを引っ込める必要があるが、扉の開閉途中は、セーフティシューの本来の効力を発揮させるため、その突出量を大きくする必要がある。

3  本件エレベーターは、両開き扉を持ち、全開時の出入口の幅は約一メートルで、病院用のためやや奥行が深く、定員は一七名であり、セーフティシューは両扉の外側側面先端部に設けられ、アルミニュウム製でそれぞれの自重は約2.5キログラムである。セーフティシューの突出量は、その外側から見て右側の扉については、扉が全開のときは一〇ミリメートルであり、扉の開閉途中の最大は五八ミリメートルとなり、全閉のときは一〇ミリメートル引っ込むようになっており、左の方は、全開のとき一五ミリメートルで、開閉の途中に五八ミリメートル(最大)となり、全閉のとき五ミリメートル(突出)となる。

4  突出量の調節は、軸、カム及びリンクの組合わせによって行われ、扉が開閉する際、軸を中心としたリンクの回転運動に伴って、セーフティシューの突出量が変化するとともに、それが下に凸の緩やかな円弧状の軌跡をとって上下し、その下端と床面との隙間が、右の方は、扉が全開のとき三四ミリメートル、開閉の途中の最小は一四ミリメートル、全閉のとき三六ミリメートル、左の方は、扉が全開のとき三〇ミリメートル、開閉の途中の最小は一一ミリメートル、全閉のとき三〇ミリメートルと変化する構造になっている。なお、この隙間は、一般に最小一〇ミリメートル程度に設計されるが、その程度の隙間がないと、扉が反転するときに床と接触する危険があるとされる。

5  本件エレベーターの右扉が閉まる場合の水平移動速度は、扉が全開のときから約二九〇ミリメートル(約1.15秒後)移動するまでは、ほぼ等加速度で秒速約五一〇ミリメートルまで加速し、その後扉が数十ミリメートル移動後減速して、全閉に至るものである。後記三の3の(二)のとおり、右扉が全閉のときから九〇ミリメートル移動したときに本件事故が起きたとみられるが、そのときの扉の水平移動速度は秒速二八八ミリメートル(全閉のときから0.55秒後)であり、それほど速いものではない(時速1.04キロメートルに相当する。)。

二  控訴人の負傷及びその程度

証拠(甲一、五、七)によると、控訴人は、本件病院に入院していたところ、平成三年七月一一日、裸足にサンダル履きで一一階の病室から地下一階に降り、そこの売店で食料品と新聞を購入して、新聞を左脇に挟み、右手で食料品の入った袋を持ち、午前九時三〇分ころ、病室に帰るため本件エレベーターに乗込もうとしたところ、扉が閉まり始め、外側から見て右側の扉の敷居(ドアシル)の上にかかっていた右足先がセーフティシューの下端と床面との間に挟まれ、それにより、右足指第二、第三指挫傷の傷害(以下「本件負傷」という。)を負ったこと(本件事故の発生)が認められる。

右負傷の程度について、控訴人の陳述書(甲五)によると、全治一〇日間を要した旨が記載されているが、平成三年七月三一日付けの医師の診断書(甲一)には、計六日間の外科的処置を必要とし、同月一六日に完治したと記載されているから、全治六日間であると認めるのが相当である。また、控訴人の陳述書(甲七)によると、その後右足指第二指の爪が剥落したこと、今でも稀に痛みを感じること等が記載されているが、裏付けを欠くので、右各記載は採用しない。

三  本件負傷の原因

1  本件負傷は、本件エレベーターの外側から見て右側の扉に設けられたセーフティシューの下端と床面との間に隙間が存在し、扉が閉まるにつれてセーフティシューが下降し、全開の状態で三四ミリメートルの隙間が、扉が閉まるにつれて一四ミリメートルまで狭まるという本件エレベーターのセーフティシューの構造がひとつの原因になっているものと考えられないではない。すなわち、後記3の(二)のとおり、右隙間が二二ミリメートルとなったときに本件事故が発生したとみられるのであるが、仮に、本件エレベーターのセーフティシューの下端と床面との隙間が二二ミリメートルより狭い状態が維持されていれば、足先がセーフティシューの下端に入ることはなく、その側端に触れて扉が反転したはずであるから、本件負傷はなかったであろうし、隙間の最小が二二ミリメートルより広かったり、セーフティシューが下降しない構造であれば、右負傷がなかったことは否定できないからである。

2  しかし、右二で述べた本件エレベーターのセーフティシューの構造は、かなり一般的で広く普及しているものであって、本件エレベーターに特有のものではなく(乙八)、扉が全開のときと全閉のときにセーフティシューの突出量を多くすることはそれなりに合理的な理由があり、そのためにセーフティシューが若干上下するのも巳むを得ないものといえるし、セーフティシューを相応のところ(床面から一〇ないし一五ミリメートル)に下げないと、別の危険(扉に足を挟まれる等の危険)が生じ易くなる可能性があることはみやすいところであるから、セーフティシューを右のように下げること自体を不当な構造であるとすることはできない。

そして、本件エレベーターは、設置後控訴人が負傷するまで一六年間を経ているが、その間一度も同種の事故が発生したことはなかったのであり(この間一〇〇〇万回に及ぶ扉の開閉が繰り返されている。)、また、かなり多数存在する同種のエレベーターについても、同種の事故が発生した事実、又は、発生を疑わせる事実を認めるに足る証拠はない(乙八、証人柴田勝美、証人木村雅範)。なお、この点に関して、控訴人は、被控訴人らはその製造又は保守管理に係るエレベーターについては、被災事故についてのデータを保持しているはずであり、その開示を要求したのに、被控訴人らがこれを一切開示しないことは、同種事故の発生を裏付けるものであるといった趣旨の主張をしているが、そもそも同種事故発生の事実については、控訴人が立証すべきことがらであるし、右のとおりその発生を疑わせる事実すらも立証されていないのであるから、右主張は採り得ない。

3  そこで、控訴人の本件エレベーターに乗ったときの状況につき検討する。

(一) 控訴人は、裸足にサンダル履きで、新聞を左脇に挟み、右手で荷物を持っていたことは、右二のとおりであり、負傷の部位、状態(右二)から、右サンダルは足指の部分が露出するようになっているものであると考えられる。そして、控訴人の陳述書(甲七)によれば、本件エレベーターの出入口では、同時に数名の者が乗り込もうとしていたが、その中に身長より高い移動式の四脚の点滴用支持柱により点滴を受けながら自力で歩行している初老の男性がおり、その男性が中央部附近で乗り込もうとしていたこと、控訴人は、乗ろうとしたとき、扉に注意を払っておらず、まだ扉が閉まるとは思っていなかったこと、しかし、控訴人が右足先をかご側の扉の敷居に置いたときは、既に扉は閉まり始めていたこと(既にかご内に乗っていた者が、あわてたために誤って扉を閉めるボタンを押した可能性を否定できない。)が認められる。控訴人は、急いで乗ろうとしていたこと及び右男性に気をとられたことのために、エレベーターの扉の動きに注意が行き届かなかったものと思われる。

なお、同書証には、控訴人が右扉の敷居の上に右足を置いたときに、扉が閉まり始めた旨記載されているが、そうであれば、右足を敷居に置いてから右扉のセーフティシューの側面先端が右足先に触れるまでに0.55秒もあるから(右一の5)、足先に続く下肢、肩、上肢等がセーフティシューに触れて本件事故は生じなかったと考えられるので、右記載は採用しない。また、同書証には、控訴人は、右の男性の右後から乗り込もうとしたために、本件エレベーターの入口の右端附近に寄らざるを得なかったと記載されているが、控訴人が右端に寄ったのは、巳むを得ないというよりは控訴人の意思によるものであったと考えられる。すなわち、右初老の男性がおそらく相当にゆっくり歩いていたので、控訴人はその男性に接触しないように避けて(若干体を横に向けるなどの姿勢をとったのではないかと思われる。)、その右側を早足で擦り抜けるように追い抜いて乗り込もうとしていたものと考えられる。そうでなければ、控訴人は、その男性の後に続いて中央部又は中央右寄りから乗り込むことができたはずだからである。

(二) そこで、本件事故の際の控訴人の右足の位置につき検討するに、控訴人の負傷部位である右足指足第二、第三の高さは一〇ミリメートル、右負傷時控訴人が履いていたサンダルの右第二、第三指部分の高さは一二ミリメートルであり、したがって、右負傷部位は、床面から二二ミリメートルの高さのところであるということができる(甲二一)。そうすると、セーフティシューの下端が床面から二二ミリメートルの隙間となったときに、控訴人が負傷したものと推認されるところ、前示のとおり、セーフティシューの下端と床面の隙間は、全開のときは三四ミリメートルであるが、扉の閉まるに従って狭まり、証拠(乙八)によると、右側の扉が全開の位置から九〇ミリメートル移動したとき、右隙間は二二ミリメートルになることが認められ、右隙間と扉からのセーフティシューの突出量との関係(全開のとき隙間は三四ミリメートルで突出量は一〇ミリメートル、開閉途中隙間の最小のとき一四ミリメートルで突出量は五八ミリメートル。右一の3、4)からすれば、右隙間が二二ミリメートルのときの右突出量は約四〇ミリメートルと推認されるから、結局、全開のときのセーフティシューの側面先端の位置から、一二〇ミリメートル程度左の位置で、右隙間が二二ミリメートルとなり、控訴人の右足先がその隙間に挟まれて本件負傷をしたものと考えられるのである。

(三) ところで、人間は、普通に歩行する場合は、足先が一番先に出るとはいえ、ほんの一瞬後(おそらく0.1秒にも満たない間隔の後)には下肢、肩、上肢等が続くのであり、このことは、早足でも、基本的には違いはない(早足の場合、上体がやや前屈みになることがあるが、そうであれば、下肢、肩、上肢等がより早く続くか、それらがむしろ先行するかである。)。そうすると、普通に歩行するか、早足で歩行するかして本件エレベーターに乗る場合は、扉が閉まってきても、下肢、肩、上肢等がセーフティシューに触れて扉が反転するため、本件事故のような事故は起こり得ないのである。また、扉の動きに少しでも注意を払っていれば、閉まってくる扉を、手、上肢、下肢等で押さえるから、やはり、事故は起こらないはずである。

右の点及び右(一)、(二)の状況並びに負傷の部位(右二)からすると、控訴人は、早足で、中央部の男性を避けて本件エレベーターに乗ったのであるが、エレベーターの右扉が閉まりかけていたのに、その動きに気付かず、右足先を、セーフティシューの下端部に向かって右向きやや斜めに(中央部の男性を避けるため体がやや斜右向きになったものと考えられる。)差し込むに近いように置いてしまったか、あるいは、右足を出し始めたときになってエレベーターの右扉が閉まり始めていたのに気が付き、あわてて両手が塞がっていたこともあって、右足ないし右下肢で扉の動きを止めようとして誤ってセーフティシューの下端部に右足先を右向きやや斜めに突っ込んでしまったかであると推認されるのである。

4 ところで、エレベーターは、現代、建築物において一般公衆に広く利用され、日常欠くことのできない乗り物として大きな役割を果たしていることは、公知の事実であり、その安全性の確保につき、製造業者、保守業者等が充分に意を用いなくてはならないことはいうまでもない。しかし、エレベーターは、利便性を有する反面、ある程度の危険性をも兼有し、その危険性は、これを全く無くすることはできないから、エレベーターを利用する以上、利用者もその危険を避けることにつき相応の配慮が要請されるのである。このように考えると、エレベーターの事故につき、製造業者、保守業者等に不法行為責任を負わせるためには、当該エレベーターが通常予見される利用形態等を考慮して通常有すべき安全性を欠いていること(欠陥の存在)、及び、これにより右事故が起きたということ(因果関係の存在)が、まず、満たされることを要し(責任が認められるためには、更に、予見可能性及び結果回避義務等もとりあげられることになろうが、これらは右の欠陥の点と微妙に関わりを有する。)、これらが認められない限り、右製造業者等に対し不法行為責任を問い得ないものというべきである。

5 そこで、検討するに、本件エレベーターのセーフティシューの構造は、広く普及しているもので、本件エレベーターに特有のものではなく、セーフティシューの突出量を変化させ、それを上下することには合理的な理由があること、これまで本件エレベーター及び同種のエレベーターが多年にわたり極めて多数回使用されながら、本件と同種の事故が起きているとはいえないこと(右2)に鑑みると、本件エレベーターは、通常予見される利用形態等を考慮した通常有すべき安全性を欠いているとはいい難いものと一応推認されるところである。

そして、本件負傷当時控訴人が本件エレベーターに乗ったときの状況をみるに、控訴人は、裸足にサンダル履きで、新聞を左脇に挟み、右手で荷物を持って、両手が塞がった状態で、中央部からゆっくり点滴用支持柱とともに乗ろうとする初老の男性と接触しないようにこれを避けながら、その右側を早足で擦り抜けるように追い抜いて乗り込もうとし、右足先を、右扉の敷居の上で扉が全開のときのセーフティシューの側面先端の位置から一二〇ミリメートル程度の左の位置に置いたときに、セーフティシューの下端と床面の隙間に右足先が挟まれ本件負傷を負ったということができるところ(右3の(一)、(二))、エレベーターに乗る場合に、一般に扉の動きに注意する必要があるが、本件では、中央部に右の男性がいて、それへの接触を避けて早足で出入口のかなり右端で乗ろうというのであるから、一層その注意を払うことが要請され、しかも、足指を露出していて、それ自体金属部にぶつかるなどにより負傷の危険があるから、なお一層扉の動きに注意を払うべきことが期待されるはずであるのに、急いで乗ることと右の男性に気をとられて、右注意を怠り、扉が閉まり始めたのを気付かず、又は、本件事故直前に気付き、セーフティシューの下端に右足先を差し込むに近いように置き、あるいは、あわてて突っ込んでしまったのである(右3の(三))。これらによると、控訴人の乗り方は通常の予想される乗り方をかなり逸脱している異常なものと認めざるを得ないのであって、被控訴人らがエレベーターの製造業者あるいは整備、保守業者として高度の専門技術を有していることを考慮に入れても、このような乗り方による危険までを予見してエレベーターの構造を設計しあるいは配慮すべき責任が被控訴人らにあるとすることはできないのである。

そうすると、本件エレベーターは、通常有すべき安全性を欠いているとはいい難いものであるし、仮にそう断定できないにしても、控訴人の本件負傷は、もっぱら控訴人の異常な乗り方に起因するものというべきであって、本件エレベーターの構造に起因するものということはできないといわざるをえない。

6  控訴人は、セーフティシューの下端部の鋼板の切り口が養生されることなく露出し、緩衝材の取付けもないことという本件エレベーターの構造も本件負傷の原因であると主張し、弁論の全趣旨によれば、本件エレベーターのセーフティシューの下端部の鋼板が養生されておらず、緩衝材の取付けのないことが認められる。しかし、これに触れれば直ちに受傷するといった危険性があるということについては、これを認めるに足りる証拠はないのみならず、右5によれば、本件負傷は、右構造に起因するものといい得ないことは明らかであって、右主張は採り得ない。

7  以上によれば、本件エレベーター、すなわちそのセーフティシューの構造に欠陥のあること、あるいは、それと控訴人の本件負傷との間に、不法行為責任を負わせるべき因果関係が存在することを肯認することができない。

四  見舞金支払の合意の成否

この点について当裁判所の判断は、次のとおり訂正、削除するほかは、原判決の四三頁九行目から四五頁七行目までのとおりであるから、これを引用する。

原判決四四頁二行目の「示談契約」を「その趣旨の契約の締結」に、同四四頁五行目の「示談書」を「合意書」に改め、同一〇行目、同四五頁三行目及び同五行目の「示談」を削り、同二行目の「示談」を「契約」に改める。

第四  結論

以上によれば、控訴人の被控訴人らに対する不法行為に基づく損害賠償の請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がなく、控訴人の被控訴人テクノサービスに対する合意に基づく見舞金の請求は理由がないから、控訴人の本訴請求をいずれも棄却すべきである。

よって、原判決が本訴請求を棄却した部分の取消しを求める控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、原判決が本訴請求を認容した部分の取消しを求める被控訴人の本件附帯控訴は理由があるから、本件附帯控訴に基づき、原判決のうち被控訴人敗訴部分を取消し、その部分の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官三代川俊一郎 裁判官伊藤茂夫)

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